山友さんが撮ってくださった写真。太郎平小屋〜北ノ俣岳〜赤木岳〜中俣乗越〜黒部五郎岳間
黒部五郎小屋で黒部五郎岳百名山バッチを購入しました。
友達デザインのバッチは特徴があるのですぐにわかります。その山に咲く高山植物の花🌸がデザインされています。
お夕食は手づくりのカツとお蕎麦の定食。母は一膳しっかりいただきますが、私はご飯がはかどらないのでお蕎麦がありがたかったです。
サクッと揚がったカツとあたたかいお味噌汁が美味しい。
同じく宿泊した登山者の方々と明日の行程についてお話を聞いたり。食堂は団欒室にもなりますので、和気藹々と楽しい時間が過ぎていきます。
翌朝は雨が止まず。
岩の間から滝のように沢水が流れて来ます。
この日は雲ノ平まで歩く予定でしたが、ヤマテン(山専門の天気図)を見てもお天気が回復する様子はなく。
7/30宿泊予定にしていた雲ノ平山荘にキャンセルの電話を入れて、31日宿泊予定の三俣山荘に連絡して女将さんとお話をしました。
個々の登山技量にもよるけど、今日一日は延泊させてもらえるなら黒部五郎小屋(2350m)にとどまって翌日三俣山荘まで来てくださいと言われましたので、延泊決定。
この雨のなか出ていく方も居ましたが、この2週間の間に北アルプスでは滑落遭難事故もかなり起きているので無理はしないことに。おそらく山友さんは歩けたのかな?と思いましたが、お付き合いいただきました。
二泊目の夜は唐揚げ定食。
好きなはずの唐揚げが喉を通らないのですが、なんとか3個つまむ。それでも美味しく感じました。
夕方あたりから体調を崩し初めて37度の微熱が出始めて小屋の方々にご心配をおかけしました。症状から高山病とのことで、酸素吸入器を受け取って深呼吸。
4,000m級の山を歩いても今まで高山病にはかかったことがありませんでしたが、今回は仕事から戻って夜行バスでそのまま登山したことや初日から自身の生理的なもので体調が万全ではなかったのかも知れません。
折立から太郎平までの間に2リットルほどの水分を補給していたので、母からおかしくない?と聞かれていました。
山小屋の方から登山中は酸素の取り入れ量が多いので問題ないと感じても活動を停止することで、低酸素になり高山病を発症しやすくなることもあるとお聞きしました。
団欒の時には山友さん自家製のナッツとドライフルーツの入った行動食を頂いて、スポーツ羊羹もいただきました。
延泊後の翌朝7/31になり、歩くことが出来そうでしたので縦走を続けることにしました。
山小屋の方にパルスオキシメーターで血中酸素濃度を測っていただいたら92% 高山では下がりやすいので86%以下になると登山を続けるのは危険とのことですが90%を超えているので問題ないでしょうとのことでした。
前の日に小屋に残ったのは翌日、水晶岳→高天原温泉へ歩くおじ様おひとりと私達3人のみ。夜になって、ずぶ濡れで急遽入って来た登山者の方々が居ましたが年齢は若い人が多かった。
暴風雨のなか歩くのに命の危険を感じたとのことなので、歩かなくて良かったと思いました。
小屋を出る前に記念撮影。
延泊したおじ様も一緒に撮りました。
小屋の方には何度も無理しないでダメなら戻って来てくださいね。或いは救助を要請してくださいと言われました。
雲ノ平を歩くルートを変更するので山小屋の方に登山計画書をお渡しして出発。
小屋の方にもとてもお世話になり、ありがたかったです。
小屋の裏山からいきなり急登が始まります。岩清水が登山道を流れ落ちるので沢登りしている気分。
シラネニンジン
ゴゼンタチバナ
コケモモ
ハクサンシャクナゲ
コバイケソウ
ナナカマド
おそらく白い花弁が散って芯だけ残った状態だと思います。
登りきったところでお花畑が広がる稜線(2620m)に出ます。暫くはお花畑のなかを歩いて行きますが霧の中。
登山道を横切りお花畑に渡る雷鳥。
雛を5匹連れています。鶉よりも大きくなっていてもうすぐ独り立ちしそうな感じでした。
雷鳥も出ましたから午後からのお天気が気になるところ。予報では15時くらいから雨の予報でしたから先を急ぎます。
ここでの時刻は7:40
ハクサンイチゲ
チングルマとイワカガミの群生
ミヤマキンバイ
イワカガミ
ミネズオウ
このあたりから霧が上がってきて岩で指を切ってしまい流血して岩が赤く染まる。
後ろから来たお兄さんが後日双六小屋の方と知ることに。
西吾妻山で骨折したことから応急セットはしっかり準備して来ていたので、止血して化膿止めを塗りました。
母が熊が血を舐めてしまうのでは?と恐ろしいことを言っていました…昨年からこのあたりも熊の情報が多くあります。
歩き始めたら体調はすっかり回復。
不思議ですが、いつもそんな感じで歩いています。
2,640mの地点で三俣蓮華岳は後日登るので巻道を通ります。
巻道でも道は細くアップダウンもあり険しい。(2,670m付近)母が躓かないようにゆっくり気をつけて歩きます。つまずくと滑落なので、いつもなら簡単に歩ける距離を時間をかけながら。
休み場所があると母は行動食をつまんで食べます。父と山歩きしていた時も無理せずにしっかりゆっくり歩くという登山スタイル。
日本百名山を夫婦で登り終えて80歳という年を重ねても歩き続けられるのはやはり無理ない歩き方をしてきたからで心臓への負担も骨の劣化もないのかと思います。
長く山を歩き続けたい方は、早く歩くよりも景色や花々を眺めながら適度に休息を取るというスタイルを保持したほうが良さそうです。
コバイケソウとクルマユリ
ムシトリスミレ
シナノキンバイ
反対側の沢にはミヤマキンポウゲの他に黄色い花ではダイコンソウもたくさん咲いていました。
山友さんと母。
ひたすらアップダウンの繰り返し(2,698m)
こんな時、ストック(杖)がありがたい。
ヤマハハコ
雪渓を渡る箇所が出て来たので小屋まではあと少し。
歩いて1時間半歩くと三俣山荘に到着です。
救助のヘリが上空でホバリングしてますが、怪我人が出たということをあとで聞きました。
三俣山荘の背面にある鷲羽岳が見えて来ました。
雲ノ平山荘に前の日に行く予定でしたが、行程通りに三俣山荘へ。
小屋の方が総出で植生回復の作業をされていました。
黒部五郎小屋〜三俣山荘(2,600m)まで3.4キロの道のりを5時間(休憩45分)かけて到着。