林道を走る。
震災から5年後の石巻市。
震災直後に一度現地に入っていますが
今まで、何度も来てもこうした時間を取ることはできていませんでした。
北上川を辿り、海に向かいます。
田植えをしている田園風景を眺めながら、大川小学校へ。建主さんのお話によると、塩害で暫くは出来ないであろうとされていた田植えは、潮を抜く土木工事をすることで復活することが出来たそうです。
石巻は多くの人達が農業と、漁業で生計を立てています。生活の基盤になるものが復興しなければ街は元気になりません。逆に農業と漁業で暮らすことが出来る地域は万が一の時は強みであるとも言えます。
北上川を外壁面に背にして建てられている校舎は丘のほうに向かって中庭風に円弧を描く配置。津波は、渦を巻いてコンクリートの壁などをもぎ取っていったであろう痕があります。あの日のことを忘れないためにも、これからのためにもしっかりと記憶に遺す為に訪ねました。少し海岸線を走り、車を降りてしばらく歩くと
社があります。手前の鳥居は壊れ、手前の樹々は立枯れしていますが、社は津波を逃れて居ます。岩を貫通させた鉄の支柱は露出していますが、先端の尖った岩が波を避け、手前が奥に開けているので水の流れがそちらに向かったようです。
地形によっても水の流れが変わることがわかります。逆に地形のつくり方によって想定できないような水の力が働いた時にそれを回避することが出来るようなものを作ることができると言えそうです。
帰宅してから、母より熊本地震で、木造建築は新耐震以降の建物でも壊れ、鉄筋コンクリート造は壊れないなどという報道がされていることを聞きましたが、専門家の中でも意見が別れています。
一部は真実であっても、それが全ての原因では無いのですが、報道は不安を煽るだけで一般人はそれを信じるしかありません。
異例の自然災害相手に解析だけの理屈だけでは通らない場合が多いものです。
東日本大震災では施主さんのお宅では木造を構造体としたものは漆喰壁もガラスも壊れませんでしたが、鉄筋コンクリート、鉄骨造のお宅は壁の一部の漆喰が落ちたり、ビビが入ったと連絡が来ました。
構造破断ではありませんでしたが、補修費用がかかったことに変わりありません。
熊本地震では大学時代の同級生に聞くしかありませんが、同じ地域で地盤が崩れたり、その地域にあるマンションは2階部分が潰れたりと応急危険度判定では立ち入り禁止の赤紙。そのすぐ上にある木造の住宅は地盤の崩壊で基礎から傾いたものの家は問題ないとのこと。
思うに、揺れの方向や軸組の作りかた、一番倒壊に影響するのは地盤だと思います。
何れにしても、起きてしまったことを2度と繰り返さないように、何時起きるかわからない災害の事を想定して机上ではない現場サイドの検証が必要かと思いました。
川に囲われた地域や、元々沼地だった窪地などに家を建てるときはどうすれば良いのか。
地震の際も絶対に大丈夫だということで開発されていた地域も、液状化で大変な状況になったところもあります。
半永久的に使えるとされている制震装置や免震構造においても、1度の大地震では効果を発揮したものの、その際に壊れてしまった部品を交換するには高額の費用がかかってしまうので直せないという事態になっているところもあります。
何故だか、解りきった事ではありますが、そうした実体は報道にはあがってこないことが多いものです。
海の底を見ると、蒼々とした海藻が茂っているのが見えました。地元だという釣り人にお話を聞いてみると、この辺りでは根魚が揚がるそうです。
あれから時は経ちましたが、復興途中です。
失うものが多かったぶんだけ、強い決心のもと、今を大切に生きるという気持ちが行く先々で人から伝わります。